私はおねしょが治らない子どもだった…。
先日、子どもが出先で気を失うということがありました。
一瞬のことでしたが、衝撃的な出来事でした。
その時に、失禁もしました。
本来、意識のある状態では、尿は膀胱に溜められ、尿道を閉める括約筋によって、尿が漏れ出てしまうのを防いでいます。
失禁はその筋肉の緊張が緩むために起こります。
私も子どものころ、この無意識の失禁を何度もした経験があります。
そのためのトラウマなのか、今でもトイレが非常に近いです。
そして、私はおねしょがなかなか治らない子どもでもありました。
おねしょというのは、睡眠時の無意識の状態で失禁してしまう現象です。
睡眠には二つの種類があり、レム睡眠とノンレム睡眠があるといわれています。
その一つのノンレム睡眠は、「積極的に脳を休ませる睡眠」で、脳を効率よく休ませて疲労を回復させる睡眠です。
ノンレム睡眠では、からだは覚醒時と比べて筋肉の緊張は緩みますが、完全に弛緩することはありません。
おねしょの原因は、睡眠の質に関係しているという説もありますが、そのほかにもいろいろ説があり、まだはっきりは解明されていないらしいです。
でも、私は自分の経験から、自分の場合は、このノンレム睡眠時に起こっていたのではないかと思っています。
ノンレム睡眠で脳を休ませる必要があった私は、日常的な意識の状態の時に、かなりのエネルギーを脳で使っていたのではないかと考えています。
つまり、おねしょをしてしまうということは、普段から脳をよく使っていると言えるのだと、今は思います。
不器用な私は、脳をうまく使えるようになるまでにとても時間がかかりました。
私がおねしょをしないように脳でコントロールできるようになったのは、小学校5年生くらいの頃でした…。
発達心理学では、生まれて最初に「口唇期」という時期があります。
この時期は視力が未発達のために、赤ちゃんは何でも口で確認しようとします。
赤ちゃんが母乳を飲む行為は、母子一体化といってお母さんのおっぱいを通して、自分を確認しているのです。
私の母は私を産んだときは、あまり母乳がでなかったんだそうです。
その後、「肛門期」という時期になっていきます。
オムツが外れる頃です、この頃からトイレにいくトレーニングを始めます。
これは、子どもが社会性を身に着けていくトレーニングの第一歩なのです。
だから、この肛門期は社会に適応していくことができるようになるためのとても重要な時期なのです。
私の母は、私を社会に適応させてくれようとして、とてもがんばってくれていたのだと思います。
母からおねしょのことで怒られたことは一度もありませんでした。
強制ではなく、私のペースに合わせて見守ってくれました。
それでもなかなか治らない私のことが、内心はとても心配だったと思います。
私が大きくなり、おねしょも完全に治った時に母が言いました。
「あんたのおねしょは、私の責任。最初は無理やり起こしてトイレに行かせていたから。」
でも、母は最初はそうするものだと思ってやっていたと思います。
母は一人で悩んで、苦しんだかもしれません。
そして、長女の私の時の失敗を、妹の時にはしませんでした。
私はおねしょが治らずに、母にとても迷惑をかけていたので、
それだけでも、母の役に立てたならいいと思います。
今回のこの出来事で、いろいろなことを思い出しました。
子どもは大事には至りませんでしたが、普段よっぽどのエネルギーを脳で使っているのだなと感じました。
力になってやれなくてごめんねという気持ちと、いつもがんばってくれてありがとうという気持ちで涙が溢れそうでしたが、我慢していました。
母がいつも私にそうしていてくれたように…。