前向き過ぎて辛い?
理恵でっす。
今日はフリーマーケットに行ってきました。
フリマでは珍しい雑貨に出会えたりすることもあるので、いつもワクワクします。
今日はそこで、この子たちに出会いました。
これから箱庭仲間として仲良くしていこうと思います。
この中でどの子が一番気になりますか?
その子のどこが気になりますか?
そして、それはどうしてですか?
こんな風に遊びながら、箱庭セラピーは進めていきます。
選んだおもちゃたちが教えてくれる様々な心の世界は、日常ではなかなか見えてこない世界かもしれません。
普段、心の奥に押し込めている感情を解放してあげると、心がスーッと軽くなって、とても心地よくなります。
箱庭は、そんな非日常感を手軽に味わうことができます。
あと今日は、他にも私がフリマから連れてきた子たちがいます。
この子たちです。
三輪車。
ポスト。
植込みの木。
三輪車に乗るのって、案外、難しいと思います。
漕ぐのにけっこう力がいったような記憶があります。
力というより、コツがいるのかもしれません。
始めの漕ぎ出しに一番力がいります。
一度漕ぎ出せれば、その後はスムーズに足が動くようになった気がします。
自転車や自動車でも、それは同じことですが、中でも三輪車がこの感覚を一番体感できるような気がします。
子どもの頃、お気に入りの三輪車に乗って、あてもなく出かけて行ったことを思い出しました。
私は、かなり大きくなるまで三輪車で遊んでいた記憶があります。
ある日、マンションの駐輪場に置いておいた、その三輪車がなくなっていました。
悲しい気持ちで数日過ごしました。
そして、三輪車のことを忘れかけた頃にそれはひょいと出てきました。
だだ、私の知っている姿形をしていませんでした。
私の三輪車はぺしゃんこに潰れていました…。
それだけの記憶です。
なぜ、ぺしゃんこだったのかはわかりません。
今思うと、とても不思議です。
でも、もっと不思議なのは、私が三輪車がぺしゃんこだったことに関して、何の感情の記憶もないことです。
ただ、ぺしゃんこだったという記憶があるだけです。
それから、三輪車には一度も乗っていません…。
三輪車の後ろの植込みの側に、白いポスト。
三輪車に乗った幼いころの私が、誰かからの手紙を待っているように見えました。
誰からの手紙を待っているのだろうと、考えてみました。
誰の顔も思い浮かびませんでした。
誰でもいいのかもしれません。
私は、何か自分に対してのメッセージを欲しがっているのかもしれないと思いました。
植込みの木は、そんな私の甘えた心を象徴しているような気もします。
大地に根を張るためには、足腰をもっと鍛えなければな…。
最初に漕ぎ出せる力があっても、持続して漕ぎ続ける力も必要です。
植込みの木、空っぽのポスト、ぺしゃんこの三輪車…ぺしゃんこの・・・。
私は凹んでいるのか…!?
気持ちが落ち込み過ぎて辛いというイメージは、共感しやすいのではないかと思います。
しかし、気持ちが前向き過ぎて辛いというイメージはどうでしょうか?
気持ちが前向きということは、一般的には良いイメージがあり、辛いという感情と結びつきにくいような気がします。
しかし、この思い込みにより、自分が何に対して苦しんでいるのかわからずモヤモヤしている人は、案外少なくないのではないかと思います。
だから、本当は辛いと感じているのに、その本人でさえも、それに気づかないということがあるかもしれません。
三輪車にもう一度乗ってみようか…。(笑)