生きるちから
11月に入り、体調も戻ってきたので一度気持ちを切り替えて自宅に帰ってきました。
実家での生活の間に、自分と向き合いよく考えてみました。
実家の両親は、そんなことよりも何も考えずにちゃんと寝て食べて休みなさい。と言って心配してくれましたが…。
私は、自分の存在価値を確認したいがために、いろんなものを次々に取り入れて、心を満たそうと必死でした。
ほしいものがありすぎて、全てを受け入れられる器がほしかったのです。
欲張りな私は、器作りの技術もないままに、自己流でやろうとして何度も痛い目に遭いました。
そして、一番身近な人からわかってもらえないと思うくやしさから、自分を理解してくれる居場所を求めていました。
外側にばかり向かって現実から逃げていた私…。
忙しくて家にい居る時間がないフリをしながら、ホントは家に居たくないから忙しくしていたのです。
それでも、やることはやらなければならない…。
それをやるためには、自分の生きるための時間を削るしかない。
家を整える時間を作るためには、必然的に食事や睡眠時間を削って充てるしかありません。
しかし、それでも間に合わなくなってきてしまい、家は混乱していく一方でした。
私の体も限界でしたが、意地を張って無理やり強い自分をつくりあげていく。
家庭というものに対して、面と向き合うのが怖かったのだと思います。
家庭から逃げているくせに、家庭を失うのが怖い。
過去の平和で楽しかった家庭にとらわれ、現在の受け入れられない家庭から逃げて、自分や家族を信頼できずに未来の家庭に不安を持っている。
行動は前向きなのに、心の中は常にネガティブな考えが渦巻いていました。
とても辛かった…。
では、私は、どうなりたかったのでしょうか?
今、私がここに居ることは事実です。
自宅に戻ってきたということは、現実は何も変わっていないのかもしれません。
でも、私の今の感情は「納得」しています。
現実は変わっていなくても、私自身が自分の変化を感じるからです。
それは、私一人ではできないことでした。
自分で行動して、色々な世界を見て、そこで出会った人たちから、たくさんの気づきをもらい、成長させてもらいました。
始めは自己流でしたが、いろんな人たちのおかげさまで、それなりの器はできてきているのではないかなと思います。
満足いく形になるまではまだまだ時間がかかると思います。
そして、たとえ立派な器があっても、そこに入れるものこそが大切ですよね!
こ
箱庭の中に、何を選んでどんなふうに並べていこうか…。
水中にも、まだ私の知らない世界が広がっているかもしれない。
自分で考えて、自分で感じる。
自分で選ぶ、自分で決断する。
それが「生きるちから」になっていく。