おばあちゃん
心を亡くすと書いて「忙しい」と読む。
そんな、文字通りの意味を実感する今日この頃です。
ここ何日か、少しずつ家の片づけをしています。
昨日は、障子の張替えをしました。
私は、以前建具屋で働いていたことがあるのですが、
そこでは障子も作っていました。
私は襖担当だったので、障子紙を張ったことはありませんでしたが、
どうせなら障子担当がよかったなー…と、今更どうしようもないことを
考えてしまいました…。
そんな私の心にふと、祖母が浮かんできました。
私の祖母が、正月前にはいつも障子の張替えをしていました。
一人で黙々と、非常に手際よくやっていたように思うのですが、
自分がやってみると、「なんて大変な作業なんだろう。」
と思います。
祖母の家は、いつもきれいに片付いていていました。
早寝早起き、朝は玄関の掃き掃除から始まり、
掃除、洗濯、炊事。淡々と、流れるように家事をこなし、
夕方に、石の手水鉢の水を入れ替える…。
その中にはメダカが泳いでいました。
その横には金柑の木が植わっていて、
夏には小さな白い花がたくさん咲き、
秋になると、オレンジ色の実がなりました。
夕暮れ時、手水鉢の水を入れ替える祖母の横で、
メダカが流れていかないかドキドキしながら、
祖母が丁寧に扱う、柄杓の動きを眺めていました。
(これがその手水鉢です。現在も実家に残っています。)
祖母の周りの全ての時間が規則正しく、無駄のない美しい形でした。
当たり前のことが当たり前にできる人でした。
祖父が亡くなった時、古い家を建て替えることになりました。
いらないものを処分する時、祖母は何の躊躇もなく、次々に捨てていきました。
それまで座敷にあった大きな仏壇も、「これは大きすぎるから。」と自分の部屋に置けるサイズに買い換えていました。
祖母は、毎日仏壇の前でお経を読んでいました。
そんな思い入れの有りそうなものを、あんなに簡単に手放せる潔さをすごいと、私は思いました。
なによりも、あれだけ何十年も手入れしてきた家の取り壊しを決断できたことに、祖母の器の大きさを感じます。
祖母は私の知っている誰よりも、ものの価値というものをわかっていた人でした。
人やものを大切に想い、大切に扱う気持ちが一番の価値であり、形ではないことを教えてくれました。
2013年の桜のころ、祖母はこの世を去りました。
今でも、毎日思い出します。
剥がした障子越しの息子。
スッキリしたなぁ~(^-^)
糊が乾くまで待ちます。
その間にお昼休憩。
ハートの手作り蒸しパン(^^♪
パクパク、ムシャムシャ
出来上がり~。
お疲れさまでした!
祖母に障子の貼り方を、直接学べなかったことは、私の後悔の一つです。
でも、障子を張り替えるたびに、こうして祖母を思い出すのは、
今、空の上から私に教えてくれているのだと思います…。
「心を亡くしてはいけないよ。」って…。