私がなぜ、箱庭セラピーを伝えるのか
人間は、自分とは何なのか?自分と言うものの全体に向かって生きているのだと私は思っている。
古代ギリシャで万物の根源を求めて哲学が生まれ、それ以降近代の哲学、心理学、脳科学へと人間の心の探求の向かう先は
ますます発展していっている。
その過程での、フロイトやユングによる無意識の発見は、その流れをより広汎で深みのあるものにしたのだと思う。
個性とは何であるのか?人はなぜ個性的でありたがるのか?
端的に、人が個性的に生きることが本来の人間の在りかたであるとするなら、私は私がセラピストとして関わる人達が、
より高次な統合ができるようなやり方を探求しつつ、どのようにして自我の確立、言い換えれば自己実現を遂げていくのか、
そのプロセスを一緒に探っていきたい。
箱庭セラピーはクライエントの無意識を扱う。
言い換えれば、無意識を扱う専門家が箱庭心理セラピストと言えるかもしれない。
無意識の中にある可能性にクライエント本人が気づき、それを価値あるものにしていくためのやり方を提供する。
同時に、クライエントが自らの無意識内容を自覚化する際に起こりやすい自我肥大という問題点に向き合いながら
自分自身でその問題点を乗り越える自己治癒力を高めるサポートをしていく。
無意識は夢に表れたり、言語で記述されるより絵や箱庭など、イメージとして表現されることが多い。
心の活動がファンタジーや象徴として表れる。
私は、夢解釈など具体的な心理療法を通して箱庭セラピーを同時に深めていきたい。
夢分析は現在のカウンセリングでは主流ではないかもしれない。
しかし、夢は心の奥深い現象であり、心の底に広がっている無限の可能性であり、私たちは夢を通して無意識に至る。
神話や昔話もある意味で無意識の世界の記述である。
箱庭セラピーではそのイメージをより具象化することができる。
また、箱庭セラピーで扱う砂のもつ退行という心理的効果が、無意識の世界へといざなう…。
無意識の世界は広大無辺である…。
無意識はアクティブであり、クリエイティブである。
箱庭は、誰もが安心して踏み入れることができる無意識の世界への安全な入り口である。
なぜ、今、箱庭セラピーなのか…。
その価値を知ることができるのは、それを体験した者だけである…。