《Liyengoご縁繋ぎレポ ~あなたと一緒にどこ行こう~ vol.3》
理恵でっす。
熊本に行ってきました。
とても楽しみにしていた今回の旅💓連れていってくれたのは、(おそらく?)世界でただ一人の聖書漫談師 赤塚高仁先生です。思いがけないご縁で出会うことのできた赤塚先生のやまとのこころに灯をともす活動に感銘を受けた私。そんな矢先、赤塚先生達が企画された、やまとのこころを燃やす旅に参加することになり、コアなメンバーの仲間にいきなり入らせて頂けて、幸せな二日間を過ごしてきました。
旅の目的のひとつは、
『風の丘 阿蘇大野勝彦美術館』に行くこと。
赤塚先生のご友人である画家、大野勝彦先生は、45歳の時に農機具に両腕を巻き込まれて切断し、人生のどん底を体験しながらも、そこから立ちあがり、画家になり、美術館まで作ってしまったという壮絶な人生を生きてきた方です。
そして、そんな大切な美術館が2016年の熊本地震で倒壊し、立ち入り禁止になってしまいます。それでも大野先生は諦めずに、美術館を復活させました。
その様子は松岡修造さんが取材に来られ、テレビ番組にもなったのでご存じの方もいるかもしれませんね!
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大野先生が大切な両腕と離れたときはさぞ痛くて苦しかっただろうと、想像することが怖い。
一緒にしてはいけないのだけど、私が、自分の一部だった二人の子ども達と離れたときは本当に苦しかった、痛かったことを思い出す。
でも、大野先生に会って、その笑顔に触れていると、全てがポジティブに思えてくるから不思議だ。
大野先生は両腕を失う前、何でも一人でやってしまう、誰にも負けない鉄人のような人と呼ばれるほどだったらしい。でも、そんな自分は傲慢だったと、先生の作品は伝えている。
私は、先生はただ強くて優しいのだと感じる。
人生においての悲劇的な出来事は、助けてほしいと言えない人のために、神様がくれたプレゼントなのかもしれない。
悲劇が起こったとき、人は何かのせいにしなければ生きていけない時がある。そして大概は、一番責めやすい人を責めてしまうものだと思う。私の場合はそれが自分だった。お前のせいだと誰かを責めなければならないとき、私はその人の背景にいる人のことを考える。何も関係ない人を一緒に苦しめたくないという思いから、私は自分を責めてしまっていたのだ。
そして私は大きな間違いに気づいた、私の背景にも人はいるのだ。
私は一人で生きているわけではない、私が私に責められることで、悲しむ人達もいるのだ。そういう人たちの気持ちも考えずに、私は自分を傷つけてしまっていた。
何かを失うことは悲しいことだけど、失ったものは戻らないけれど、失う前の自分には戻れるような気がする。そこからまたやり直せば、私はなりたい自分に変われるのだと思う。
人の助けだけじゃない、科学技術進歩があってこその感謝もある。
手がなくなっても義手があって良かった。他にも、目が見えない人、耳が聞こえない人、足が動かない人、、、昔ならもっと不便で悲しい現実を過ごさなきゃならなかったことも、今は違う。
誰もがみんな幸せに過ごせるのだ。
大切な人と離れてしまっても、インターネットでいつでも会える世の中だ。
それでも、風の丘 阿蘇大野勝彦美術館には自分の足で行って、自分の目で見てほしいと思う。
生きているうちに、大野先生の生命力をみんなに感じてほしいと思った。