また、原点に戻る。

理恵でっす。


GWのお出かけ。


世界遺産高野山に行ってきました。


高野山は弘法大師が修行の場として開いた聖地です。


今年、平成27年で、1200年目を迎えるそうです。


高野山までは車で行きました。


山道をこんなに楽して登れるなんて、昔の人はびっくりするだろうなと思いながら、窓から見える景色を楽しんでいました。


車から下りると空気がとても冷たく、肌寒さを感じました。


奥の院は、豊臣家の墓など、皇室や諸大名のお墓や、祈念碑、慰霊碑が数多く並んでいます。


他の観光客の人込みにまぎれながら、巨大な杉が立ち並ぶ林を歩いて進んで行きました。


湿った空気の匂いの中には、線香の煙の匂いも混じっていて、懐かしいような、恐ろしいような、不思議な感覚に包まれました。


鳥の鳴く声が聴こえてきて、上を見上げると、まるで巨人に見下ろされているような気持ちになりました。

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木の根元は、美しい緑色の苔が生えていて、私はジブリアニメの天空の城ラピュタに出てくるロボット兵を思い出しました。


「こんなに大木になって、表面が苔むすようになるのには、ものすごく時間がかかるのだ。」


…そんなあたりまえのことが、とても重大なことだと、その時、私は気づかされました。


何かを得るためには、何かを失わなければならない。


失うものとはなんだ?


その得るものにかける時間だ。


「お母さん!」…という、子どもの声が聴こえました…。

私は、子どもという宝を大自然から授かった。


それは、私に与えられたものではあるけれど、その価値を私はわかっているのだろうか?


…私は今更、何を言っているのだろう…。


喉元から込み上げてくるものを感じて、息が苦しくなりました。


巨大な杉の木が、ちっぽけな私をまっすぐに見つめている。


「しっかりしなさい!!」


厳しく、しかし、優しい声が、泣きそうな私の上に降ってくる…。

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私が子どもを得た瞬間から、自分がこの子たちを育てさせてもらえるための対価を払う必要性が生まれたのです。


その対価とは、子どものために費やす時間なのだと私は思います。


その時間というのは、子どもを想う時間のことです。


私は、時に、子どもを想う時間を重く感じる時がありました。


それは、支払う必要があった清算のツケが回ってきたようなものです。


このような表現をすると、嫌悪感を抱く人がいるかもしれません。


でも、自然の法則とはそういうものだと私は思い知りました。


何かを得るためには、その対価を払うということはあたりまえのことで、とてもシンプルなのだと気づかされました。

私は、そんなに大きな対価を払ってまでもこの子たちが欲しかった。


でも、この子たちの価値は私が独り占めできるようなものではないのだと思いました。


そんな私の独り占めしたいという想いこそが、独占欲であり、子どもを重く感じるなどという錯覚を起こすのです。


ここ最近、ずっと抱えていた「解放されたい」という想いの正体が見えてきたように思います。


恐るべし、高野山…。


さすが世界遺産…。

大自然は何も言わないけれど、いつも大切なことを教えてくれます。

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そういえば、このブログを始めたきっかけもそうだった…。


これからも、迷ったら原点に戻ろう。

何度でも・・・。

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