夢想散歩
理恵でっす。
精神分析では、夢分析というものがあります。
フロイトの考えでは、夢は無意識的な欲望や願望などが加工され、夢として表れるとしました。
一方で、ユングは夢を無意識の表現とし、意識へのメッセージと捉えました。
夢というのは、人間の内的世界の存在を正に表しているのではないかと私は思います。
内的世界からのひらめきを、形あるものとして表現できるのも箱庭なのです。
私は、息子とよく近所の公園に散歩に行きます。
公園に向かって歩いていた時に、地面に白いものが落ちているのを息子が見つけました。
側に行ってみると、モンシロチョウでした。
死にかけているのか、横たわったまま微かに羽を動かすだけでした。
潰されないように、土の所にやってやろうと羽を触った瞬間に、急に飛びました。
でも、ふらふらと飛んでじきに落ちました。
どうすることもできずに息子とそのままその場を去りました…。
公園に着くと、砂場の近くのベンチに松ぼっくりがたくさん置いてあって、
「誰が置いていったのかな?」と息子が言いました。
そうか、地面に落ちている松ぼっくりと違って、ベンチにあるのだから、誰かが置いていったのに違いないと思いました。
その松ぼっくりを砂場に持って行って、息子が遊びだしました。
夢中で遊んでいる息子をしばらく黙って見ていました…。
そうしているうちに、胸のあたりに込み上げてくるものを感じて苦しくなりました。
息子が砂場で遊んでいる間に、私は思い立って、公園の中をひたすら歩き回りました。
頭の中を空っぽにしようと思いました。
「誰かが松ぼっくりを置いていった、ベンチに置き去っていった…。」
くまくんが言いました。
「その子たちのことを想うと涙が出てくるよ。」
耳のないうさぎさんが言いました。
「なぜ?」
とさるくんが聞きました。
「それは私がお母さんだからさ。」
と耳のないうさぎさんは言いました。
「そんなことはきっぱり忘れちゃえばいいんだよ。」
さるくんが言いました。
「そうだよ、そうすればきっと楽になるよ。」
ねこさんが言いました。
すると、側で見ていた女の子が言いました。
「でもね、忘れちゃえば楽になるかもしれないけれど、その報いがきっとあの子たちに返ってくるよ。」
さるくんとねこさんが女の子を見ました。
女の子は続けて言いました。
「だから、どんなに辛くても苦しくても、耐えなければならないの。ほかの人たちからどう言われても、思われても、
その子たちに声を聴かせてやらなくてはいけないのよ。」
耳のないうさぎさんは言いました。
「私はね、子どもたちの声を聴いてやらなかったのさ。だから神様の罰が当たって耳を失ってしまったのよ。
私はもう、子どもたちの声を聴いてやることができないんだ。」
そして耳のないうさぎさんは歌いました。
「かわいいあの子は逃げていく
愛しいあの子を追いかける
顔で笑って 心で泣いて
そうしていれば、笑顔が変わる
そうしていれば、涙も変わる」
耳のないうさぎさんは、松ぼっくりを前足で取ると、大きな松の木の根元にそっと置きました。
公園をグルグル回りながら、私は物語の世界に入り込んでいました。
すると、息子が私を呼ぶ声が聞こえました。
「もう帰ろうか。」
「うん。」
帰り道、あの蝶はどうなったかなと考えていました。
たぶん、死んだのだろうなと思っていました。
その夜、息子とお風呂に入っているときに、「今日のチョウチョどうなったかねぇ?」と聞いてみました。
息子は「卵を産んでお母さんになったんちゃう?」と言っていました。
そうか、あの蝶は使命を全うしたのだな…と思いました。